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【AIの歴史5】「AIの冬」:期待と現実のギャップが生んだ停滞

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1950年代後半から1960年代にかけての初期AI研究の熱狂は、しかし長くは続きませんでした。過度な期待と現実の技術的限界との間に大きなギャップが生じ、AI研究は停滞期に入ります。これが、後世に「AIの冬(AI Winter)」と呼ばれる現象です。

最初の「AIの冬」は、主に1970年代中盤から1980年代初頭にかけて訪れました。その原因はいくつか複合的でした。

第一に、過大な期待と約束です。初期のAI研究者たちは、数年以内に人間と同等かそれ以上の知能を持つ機械が実現すると楽観的な予測を立て、政府や企業に大きな投資を促しました。例えば、米国の防衛高等研究計画局(DARPA)は、機械翻訳や音声認識の研究に巨額の資金を投入しました。

しかし、これらの野心的な目標は、当時の技術では達成不可能でした。機械翻訳は、単語の置き換えに終始し、文脈や意味を理解できず、実用的な品質には遠いものでした。音声認識も、限定された語彙や特定の話し手にしか対応できませんでした。

第二に、技術的限界です。

  • 計算能力の不足: 当時のコンピュータは、現在のスマートフォンよりもはるかに貧弱な計算能力しか持っていませんでした。複雑な推論や膨大なデータの処理には、全く歯が立ちませんでした。
  • 知識表現の難しさ: 人間が持つ広範な常識や経験的な知識を、記号やルールとして機械に教え込むことは想像以上に困難でした。「フレーム問題」と呼ばれる、関連性のない情報の中から適切な情報を選び出す問題など、知識表現の根本的な課題が浮上しました。
  • スケーラビリティの欠如: 特定の限定された問題では成功するプログラムも、現実世界の複雑な問題に適用しようとすると、すぐに膨大な計算量が必要になり、実用的な解決策を見いだせませんでした。

これらの問題が明らかになるにつれて、政府や企業はAI研究への投資を渋るようになり、研究資金が大幅に削減されました。多くのAI研究室が閉鎖され、AI分野を去る研究者も相次ぎました。「AIは実現不可能な夢」という見方が広まり、研究は細々と続けられることになります。

この「AIの冬」は、AI研究者たちに厳しい教訓を与えました。それは、現実的な目標設定の重要性、そして基礎研究の積み重ねが不可欠であるという認識です。この冬の経験が、後の「エキスパートシステム」や「ニューラルネットワークの再評価」といった、より実践的で成果の出やすいアプローチへと繋がるきっかけとなったとも言えます。AIの歴史は、決して直線的な進歩ではなく、期待と失望、そしてそこからの学びを繰り返しながら発展してきたのです。

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