1950年代後半から1960年代にかけての初期AI研究の熱狂は、しかし長くは続きませんでした。過度な期待と現実の技術的限界との間に大きなギャップが生じ、AI研究は停滞期に入ります。これが、後世に「AIの冬(AI Winter)」と呼ばれる現象です。
最初の「AIの冬」は、主に1970年代中盤から1980年代初頭にかけて訪れました。その原因はいくつか複合的でした。
第一に、過大な期待と約束です。初期のAI研究者たちは、数年以内に人間と同等かそれ以上の知能を持つ機械が実現すると楽観的な予測を立て、政府や企業に大きな投資を促しました。例えば、米国の防衛高等研究計画局(DARPA)は、機械翻訳や音声認識の研究に巨額の資金を投入しました。
しかし、これらの野心的な目標は、当時の技術では達成不可能でした。機械翻訳は、単語の置き換えに終始し、文脈や意味を理解できず、実用的な品質には遠いものでした。音声認識も、限定された語彙や特定の話し手にしか対応できませんでした。
第二に、技術的限界です。
これらの問題が明らかになるにつれて、政府や企業はAI研究への投資を渋るようになり、研究資金が大幅に削減されました。多くのAI研究室が閉鎖され、AI分野を去る研究者も相次ぎました。「AIは実現不可能な夢」という見方が広まり、研究は細々と続けられることになります。
この「AIの冬」は、AI研究者たちに厳しい教訓を与えました。それは、現実的な目標設定の重要性、そして基礎研究の積み重ねが不可欠であるという認識です。この冬の経験が、後の「エキスパートシステム」や「ニューラルネットワークの再評価」といった、より実践的で成果の出やすいアプローチへと繋がるきっかけとなったとも言えます。AIの歴史は、決して直線的な進歩ではなく、期待と失望、そしてそこからの学びを繰り返しながら発展してきたのです。
業務効率化、AI導入支援、AI人材育成、AI戦略策定コンサルティング、補助金・助成金活用支援はAIパートナーズ合同会社にお任せください!